『EventBiz』vol.12|特集② 安全・安心なイベントづくり
イベント運営に必要なものは何か。その一つのキーワードになるのが、“安全”である。安全が保証されていないイベントには誰も参加しないし、万一、開催中に事故が生じれば中止になる。まさに安全なくして、イベント運営は成立しない。また、イベント運営を支える側にも安全は深刻な問題である。イベントの作業現場は造っては壊す、を繰り返す仮設の作業現場であり、常設工事とは違い法律に守られていない。そのため、責任の所在があいまいになりがちで事故が生じやすいという背景もある。事故が起きては反省し、忘れ、また事故を起こす、という負のスパイラル。これを打破するために取り組むイベントのプロフェッショナル達がいる。イベントの安全をいろいろな角度から考えたい。
人材不足が声高に叫ばれている状況下、集客産業のコンサートやイベントの現場では労働環境の質を高める努力が進められている。そこで、日本舞台技術安全協会(JASST)のメンバーに集まっていただき、第一線を支え続けるプロフェッショナルの視点から、“安全教育”をキーワードに語っていただいた。
労働環境の変化を語る ~コンサートを巡る昔と今~
―まずは昔と今を知ることで、労働環境がどのように変化し、改善されつつあるのか、現状を探っていきたいと思います
松延 私は主にコンサートの大道具に携わってきましたが、30年前と現在という時間軸で考えてみると、労働環境は大きく変わりました。今ではコンサートと言えばアリーナでの開催が中心で、皆さんもそれが当たり前のように思われているかもしれませんが、昔は市民会館や劇場、体育館の利用が中心でして、いわゆる興行として全国展開していました。ターニングポイントになったのは30年前、東京ドームの誕生です。翌年には横浜アリーナも竣工しましたが、その後も次々と多目的施設のアリーナが地方都市で開業し、コンサートの開催場所も劇場からアリーナ、そしてドームへと移行していったのです。ですから作業現場は大きくなり、そこで働く従事者も増え、結果としてわれわれの労働環境は大きく変わったと。
長野 劇場でのコンサートが当たり前だった時代は舞台監督、音響、照明、大道具といった各セクションのスタッフが10人程度で活動していました。それがアリーナになると規模は10倍以上になり、ドームでのコンサートになると約300人が働くことになる。そうなると劇場と比して、各セクションの仕事量も仕事の質も大きく変化することになりました。
労働環境の変化がもたらす影響
―作業現場が大規模化するほど、初めてお会いする作業員が混在する労働環境とも言えそうですね
清宮 昔と今という観点からすると、他のセクションの仕事が分からないのが今でして、昔はそんなことはなかった。私は音響の仕事をずっと続けてきましたが、当時は舞台監督の指示に従いながら、時には照明も、大道具も手伝いながら皆で現場を切り盛りしている実感がありました。ところが最近は一斉にメンバーが同時作業をすることはありません。大型化した催事では時間を区切り、セクションごとに作業を進めます。そうなると各セクションの仕事が分からない。照明は音響の仕事内容を知らないし、音響も照明の仕事が分からなくなる。このような労働環境ではお互いのコミュニケーションが不足しますから、安全という意味では何が危ないとか、何に注意すべきかなど、こういう基本的なことが理解できないまま現場に入らざるを得ない状況です。
松延 このような労働環境の変化が、現場の安全を守ることを難しくさせてしまいます。10人程度で全国ツアーに行く場合には舞台監督に聞けば良かった。ところが東京ドームの現場では300人近くのスタッフ全員が気軽に舞台監督に質問できません。監督からタイムスケジュールを出してもらい、それに向かって自分のセクションの時間帯を確認し、作業をこなす。作業が遅れれば他のセクションに迷惑をかけるから、スケジュールを守ることが求められ、他を気遣う余裕がほとんどなくなってしまうのです。
清宮 そうなると、コミュニケーションを図ることも少なくなり、自分の仕事を優先し、ますます他のセクションの仕事が分からなくなる。
中野 私は照明に長年携わってきましたが、作業現場の大型化と同時に機材の多様化ということも昔と今の大きな変化だと思います。コンサートの規模拡大は電子機器の多様化を可能にし、デジタル化も進みました。さらに演出もムービングが増え、特殊効果のための新たな器具も出てきて、それらを取り扱うためにスタッフは覚えなくてはならないことが増加した。結果としてスタッフは納期を守るために急ぎます。そのような状況下で他セクションの方々と仕事を進めていく難しさを常に感じますよね、やはり。さらに言えば、現場によっては「初めまして」という他社の方々とも仕事をします。そうなるとお互いの技量が分からないから、現場の作業環境を円滑に保つための苦労も多くなるんです。
清宮 ますますコミュニケーションが必要になります。
松延 しかし最近はコミュニケーションという言葉に頼り過ぎてしまいがちです。現場には規則があり、一定のルールを守らなければなりませんが、それをないがしろにして、「コミュニケーションが大事だぞ」と現場で周知すると、仲の良い者同士で集まってしまう弊害もあるんです。そのため現場では規則の徹底をまずは伝え、その次にコミュニケーションを図るというような工夫をしています。
抱える課題と人材育成
―若い世代を育てるということは、時間も手間もかかります。効率の良い教育が求められるかと思いますが、人材育成についてはどのように考えていますか
松延 残念なことに、現場は常に人材不足の状況であり、「一人前」という言葉を使えないほど中堅層の人材がなかなか育っていません。
長野 昔は「石の上にも3年」というように我慢を強いられましたが、最近はその我慢ができない若者が多く心配です。私は10年続けて初めて何らかの形が見えてきて、自分から何かをするために動けるんではなかろうかと考えます。先輩の行動を真似、基本ができてから初めて成長があるのではないでしょうか。
―人材育成は急務の課題なんですね
中野 このような背景があるためJASSTでは新人セミナー研修を実施しています。研修では、安全とは何かというテーマの座学と、他セクションの作業を体験し合う試みも始めました。例えば音響スタッフは照明を、照明スタッフは音響を体験してもらいました。
清宮 自分とは違う仕事を体験することで視野が広がり、特に安全という意味では、「こういうことをしたら危ないということを自覚できた」、という声を多数いただきました。小さな労働環境が大規模化した今、違う時間軸で働く現場ではコミュニケーション不足を含めていろいろな課題が顕在化しています。私はこれまで舞台監督を中心とするチームでいろいろなことを学んできたし、その中で照明、音響、大道具といった他セクションの仕事と関わり合いながら成長してきた。この関わりを再建するためにも、今回の新人セミナー研修は有効だったと自負しています。
中野 JASSTは音響、照明、大道具などのスタッフが関わる横断的な組織なので、他セクションが何をやっているかを知り、互いの仕事の領域を分かり合うことができる。それが安全意識への高まりを共有し合える近道ではないかと考えます。
清宮 研修のみならず懇親会も盛況でしたね。
松延 ひと昔前は現場の作業が終わると、皆で反省会も兼ねた懇親会を毎晩行ったものです。毎日コミュニケーションをとっているから、皆で安全意識を共有することは当たり前だった。今は仕事終わりの打ち上げなど、ほとんどありません。
中野 いろいろな意味で難しい世の中になりましたよ。他セクションの仕事を手伝っていて、万一、何かを壊したり、事故にあったりすると、「どこが責任をとるんだ」というような話に発展してしまう。そうなると、できるだけ他のセクションの仕事には触れないでおこうという空気感に変わってしまいます。共有する意識をもたせること、これがまずは安全教育を行う上で大切なポイントだと認識し、今後も新人教育を続けていきます。
新世代を迎えるために ~メッセージ
―若手の育成に励んでいくとのことですが、皆さんはどのような人材が現場に入ってくることを望んでいますか
清宮 システム化された現場、さらには高度な技術を必要とする機材の発展のせいかもしれませんが、仕事の質は高まっています。その反面、音響分野では志望者が少なくなっており、仕事の魅力が十分に伝わっていないのかと歯がゆい思いです。
中野 照明分野では女性社員が増えています。特に新人を迎えるにあたり言いたいことは、この業界に入りたい、照明家になりたい、あるいは音響家になりたいと思った以上は本気になって目指してほしいです。
長野 そうですね、業界全体で女性の数は増加し続けています。とはいえ、われわれが劇場を回っていたころはやはり男性社会。大道具やライトなど重いですから体力勝負の現場感覚は今でも根強く残っているのが実状です。そうなると業界の構造が変わりつつあるのだから、そこをわれわれも認識して是正していかなければなりません。その一つがまずは教育だろうと。私より少し上の年代ですが団塊の世代の方々は苦労して育っているから、子供には甘くなります。そうなると、甘く育った子供の世代のさらに下の子供たちにも甘くなる。だからこそ、学校で何かあるとすぐに訴えちゃう、そんな時代になり、耐えるとか、我慢するような精神論がどんどん弱まっていると感じています。そういう意味で、おじいちゃん世代が孫の世代を教育する、この思いが強いですね。ただ、残念なことに私たちの仕事は芸術だとは思わないけれども、音楽は文化であるし、文化を育てるためには働き方改革などの規制の問題と向き合わなければなりません。一所懸命に考え、動き、舞台をつくるのがわれわれです。そして皆で作業するからこそ本番を迎えることができるんです。それなのに、本番を迎えようとしているのにも関わらず、「本日は8時間労働したからここまで」なんて会社として労働規制をしようとすると、本人の気持ちが収まらないのではないかと。規制という制約がかかればかかるほど、人材も育たなくなるのではないかと危惧しています。
柿㟢 私の世代では終身雇用の考え方が主流でしたが、今は違います。若い世代は何になりたいという考え方があまりない方も多いかと思いますので、音響、照明、大道具など興味があれば携わってみてほしい。この業界にいる人もたぶん、若い頃はこの仕事がしたいという思いだけで業界に入った人は少ないはずです。道具屋にたまたま入社したものの、照明スタッフを見ていて照明屋になりたい、舞台監督を見ていて仕切っている姿に憧れる、いろいろな思いがあって自分の路線を変更していく。そこに入りながら、初めて自分のやりたいことを見つけていく、そういうこともできる仕事かと思います。