社員と事業の両軸を成長させ企業を導く[泉宣宏社・奥 晋太朗 氏]

インタビュー
本記事は季刊誌『EventBiz』で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。

今年8月、泉宣宏社の代表取締役社長に奥晋太朗氏が就任した。大手広告会社出身の奥氏に、経営や業界に向けた考え、これからの展望などについて語っていただいた。

広告会社で培った経営視点

奥 晋太朗 氏(おく・しんたろう)
博報堂ではメディア部門にて、東京キー局を中心とした番組やイベントのプラニング・セールス業務、テレビ放送の地上デジタル化に伴う新たなテレビ広告ビジネス手法の企画・立案からエグゼキューションといったテレビビジネスを担当。その後、秘書役業務として社長の経営支援、ベンチャー投資・新規事業開発業務として投資戦略の立案・企画、ベンチャーキャピタルへの投資に従事。新規事業開発業務や全社のイノベーション風土・基盤確立によるトランスフォーメーションの推進を行う。2021年2月に泉宣宏社に入社し、同年4月に執行役員、2022年専務取締役を経て2024年8月より現職。

大学卒業後は博報堂に勤め、テレビ局でタイムやスポットといったテレビ CM 枠の買い付けを行っていました。地デジ移行期には、デジタル化ならではのテレビの新しい広告手法を大型スポーツイベントで行ったり、データ放送技術を使ってインタラクティブな広告手法やテレビとケータイを掛け合わせた新しいコミュニケーションを試したりしました。

2012年には社長秘書役として社長の経営のサポートを、2015年以降は投資戦略局に籍を置き、広告業以外の収益の開発をミッションとし、事業投資業務、ベンチャー投資、他企業との JV 設立や自社での事業開発などに従事しました。博報堂時代に得られたスキルやナレッジ、人脈は今の私にとって極めて大きな財産となっています。そこから当社のオーナー家との縁故もあって2021年に入社し、今年8月に社長に任命いただきました。

スポーツイベントやミュージカル、コンサートなどは放送局主催のものも少なくないので、そうした事業イベントと関わることはありました。コロナ禍まではデジタル技術を活用した新しい事例なども出てきて、非常に勢いを感じていた市場です。ただ業務では、当社をはじめ、イベント会社と交流する機会はあまりありませんでした。

自粛が続いているときでしたから、イベント・展示会以外の仕事を探さなければと、手探り状態で営業しました。結果として、某ジュエリーブランドのメディアプラニング・バイイング業務に携わる機会をなんとか得ることができました。この仕事はイベントや展示会一本でやってきた泉宣宏社としては新しいチャレンジとなりました。

当社の屋台骨がイベントと展示会に特化していたがためにコロナ禍では多大なダメージを受けることになったので、専務取締役となった2022年度には、新たな事業基盤を作るべく「事業開発部」を新設しました。従来の当社のリソースを活かした新しい事業を推進する部署で内装事業やシンガポールのガラス加工会社の「DDG GLASS」の総合代理事業を本格スタートさせました。

縁故で入ってきたわけですから懐疑的に思う社員がいても不思議ではありません。ですから入社当時から、疑念や不安を払拭するために一刻も早く信頼関係を築くということは常に意識していて、日頃から社員一人一人とフランクでフラットなコミュニケーションを取るよう心がけています。

若い人が意見を言いやすい環境を整える重要性を、上層部に認識してもらうことも大切だと考えています。私が社員に抱いた印象として、自身の考えを発言することに慣れていない人が多いという感覚がありました。依頼に忠実であることを重視するあまり、意見や提案を求められる機会が少なかったということもあると思います。ただし、風通しが悪かったり、上長が多忙なためにしっかり向き合う時間がないため「本音を伝えづらい」と感じたりする環境があるのであれば、私が無くしていかなくてはいけません。会社の雰囲気や風土を作っているのはトップですから、私自身も模範となるよう気を付けています。

変わるニーズと変わらない価値

VUCA と呼ばれる時代です。クライアントのマーケティングコミュニケーション戦略はデジタルマーケティングの普及や DX の浸透により高度化、複雑化していて、企業はよりシビアにマーケティングの投資対効果を求めるようになっています。いわずもがな、展示会やイベントの空間づくりにおける期待や成果もめまぐるしく変化していると思います。

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