別荘地で遊び、白球を追いかけた少年時代
私が幼少時代を過ごした地は山梨県北杜市と言って、山梨県内の自治体としては最北端に位置します。市内には自然豊かなことから当時別荘地として人気だった清里があり、芸能人なども訪れるため夏休みになると近所の子供たちと一緒によく遊びに行ったのを覚えています。あまり自覚はありませんでしたが、芸能人が好きだったのかもしれません。
昔から活発というよりは内気な性格でしたが、近所の野球チームには参加していました。まだサッカーがブームになる前の話です。地区が集まり代表トーナメント戦をしており、外野手として白球を追いかけていたのがつい昨日のことのように思い返せます。
東京に出るも、刺激のない日々
高校を卒業するとすぐに東京に出てきて、渋谷にある須藤研究所という食品サンプル製造会社に就職しました。地元に工場があって、面白そうだと思ったのが面接を受けたきっかけです。
東京に出てきてびっくりしたのが、その便利さです。最寄駅が渋谷だったのですが、日付が変わっても電車が走っているのが衝撃的でした。
一方、仕事面ではあまり刺激のない日々を過ごしていた気がします。業務内容としては営業職でしたが、飛び込み営業はせず依頼があった会社に行くのが中心でした。会社がイケイケな雰囲気でなかったこともあって、日々は淡々と過ぎていきました。楽と言えば聞こえはいいのですが、大変でない分充実感や達成感も少なく、いつしか刺激が欲しいと思うようになったのです。
クラシックギタークラブで運命の出会い
大橋洋行会長(前・コスモ企画社長)と出会ったのはそんな時でした。当時私が趣味で通っていたクラシックギターのクラブがあったのですが、大橋会長もそこにいらっしゃったのです。
意気投合し、仕事の話をしていくうちにいつしか今の仕事に対する不満が口をついていました。すると大橋会長から「うちの仕事を手伝ってくれないか」とお声がけをいただき、実際に働いてみたところ驚くほど自分の性に合っていたため、今度は私から「正式に使ってほしい」と頼み込んだのがコスモ企画で働くきっかけでした。今から29年前、私が27歳の時の話です。