本記事は2015年11月30日発行の季刊誌『EventBiz』vol.1で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。
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イベントに出逢うまで
元々、私は、社会集団の未来志向のアイデンティティを構築してそれをコミュニケーション政策に活かしていく、CI 戦略プロデュースを生業としていました。70年代、80年代に、博覧会は多々ありましたが、ただ成功させれば良い、面白ければ良いという内容のものが多く、持続可能な成長戦略を描いたイベント事業はほぼ皆無の時代でした。イベントを行なうということは何らかの目標があって、その地域に輝かしい未来を作る、あるいは持続可能な将来発展を導くものだと私は考えます。そこで、CI戦略家として活動してきたことをイベントの世界の中にも取り入れられないかなと思い、未来志向型の博覧会構築に深く関わるようになりました。
鳥取ジャパンエキスポを経験して
博覧会との最初の関わりは、東京都の臨海部で開催されるはずだった「世界都市博」で、私の師匠である泉眞也氏に誘われたことがきっかけでした。泉氏は私がCI戦略家として活動していたことを活かして、「ただ面白いだけの博覧会を作るのではなく、このイベントを通して東京の発展を考えてくれ」と口説かれて、コンセプト・プランを一緒に構築しました。ただ残念なことに、世界都市博は中止されましたが…
その後、CI戦略家として今まで誰もやらなかったような博覧会をやりたいと思い立ち、最初から最後まで自分が責任を持つという条件で「ジャパンエキスポ鳥取 ‘97 山陰・夢みなと博覧会」の企画事業プロデューサーを担当させていただきました。結果、多くの方から高い評価をいただくことができ、その後の「愛・地球博」での仕事につながっていきました。
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