「イベントをやりたい」学生が増えている
日本初のイベントプロデュース学科が開設されて10年、当初はさまざまな苦労があったと聞く。私は2020年に赴任した途端のコロナでオンライン講義の日々であった。そんなコロナ禍を経て、心はより豊かな感動・体験・経験を求め、学生たちからも「イベントをやりたい」という強烈な熱意を感じている。
私が働きはじめた当時、世の中のイベントに対するイメージはマイナスで、いわゆる3Kと呼ばれる職場環境でもあった。けれども今の学生の保護者は私よりも年下で、彼らは洗練された大型の音楽コンサートやフェスティバルに参加・体験して育ってきた世代ともいえ、イベントの楽しさ、楽しみ方を知っている。それが子供にも伝わっているからなのか、イメージは明るく好印象だ。
とはいえ今も昔も、多くの若者はイベントと言えば、華やかな音楽コンサートしか知らない。そのため、初めてイベント学に触れる学生には実際のイメージを広げてもらうように気をつけている。われわれは週末や夏休みなど、人々が休みの時に働くが、自分がイベントに出かける時を想像したら、これは当然だよねと納得してもらい、イベント業務を支える側に立ってもらう。これが大切だ。
社会で通用する教育を ~イベント学を通じた実習
学生の考え方は多様化した。私は1年生に向けてイベントを定義する講義「イベント学」を通じて、企画、運営、演出、マネジメントなどイベントとしての基礎に加え、エンターテインメント、観光、スポーツ、展示会を含む多くのイベント領域を説明する。さらにはイベント業務には主催者や制作会社、音響や映像などの機材、人材関連などの各種業種・業態と私のような現場ディレクターが各フェーズで関わり合うことを伝える。
これをふまえて進級した学生は自ら興味のある分野に専門化していくことになるのだ。私は当初より、本学の特徴でもある現場実習に力を注いでいる。私のゼミでの直近の実習先は、
◯「タイフェア」(8/17-18)
◯「竹芝夏ふぇす2024」(8/28-31)
◯「しま夢ジャズ・イン佐渡」(9/12-18)
など盛りだくさんだ。
他にも当校の実習先には他教員が関わるイベント「すみだストリートジャズフェスティバル」、「マイナビ東京ガールズコレクション」「空手ドリームフェスティバル」「湘南国際マラソン・ボランティア実習」など実績があり、分野も多岐にわたるのが特徴的だ。実習では学生が制作スタッフとして実際に働き、新たな発見を得て、学びを深める。これによりイベントとビジネスの広がりを体感することを目的にしている。今年はプロのミュージシャンと連携し学生が中心となって一からコンサートをプロデュースする実習「若プロ」も行っている。
社会経験を通じて成長する学生
◎学生を迎え入れるために
私は学生をインターンや実習に送り出すとき、「現場に行ったら、不満や文句を言うだけではなく、改善点があればスタッフの一員として自分の言葉で発言しなさい」と言っている。これは学生に、単に手伝いで来ているという感覚を捨てさせて、当事者意識を持たせたいからだ。そのため私の実習では私が主催者に近いということもあり、イベント主催者やプロデューサーを直接学生に紹介している。一方学生を迎え入れる側には、学生を単なるアルバイトとして接するのではなく、しっかりと現場の厳しさを伝えながら同じイベントを作っているチームの仲間として接してほしいと伝えている。学生は現場で自分の働きや行動を認められると、やる気になるだろうし、予想以上に力を発揮する場合がある。そのため可能であれば、催事の開催日に学生を集めるのではなく、事前にそのイベントの全体像や目的、役割分担などを説明し、学生と学生を受け入れる側とがお互いに知り合う時間を作り、相互に良い環境が生まれるようにしている。
◎リクルート
例年、学生を社会に送り出すために就職指導をするが、イベント業界を支える多くは中小企業で少人数採用のため、大手の就職情報サイト(就活サイト)の活用を避ける傾向がある。とはいえ、私が個人的な知り合いの会社を学生に紹介しようとすると、丁重に断わられてしまう。学生は教員に借りを作るのが負担で、先生に恩義を感じて辞めにくくなるのを嫌がるのだ。一方、自ら積極的にインターネットなどを駆使してイベント業界の企業をリスト化し、アプローチしたい企業に自ら売り込みをかけてみることを薦めてみると、なかなか行動に移さない。対面での面接を避ける傾向もある。結局、今の学生はコミュニケーション手段がデジタル中心となっており、対面・対話に自信をもてないのだろう。これは本学の学生のみならず、学生全般にも言えるのではないか。
時代は変わり、今やイベントの現場で働く女性が急速に増え、照明や音響のチーフが女性であることも普通となっており、現場も変わりつつある。リクルートの手法・方法も多角化すべきだろう。学生の質は間違いなく年々、良くなっていると思う。