本記事は2015年11月30日発行の季刊誌『EventBiz』vol.1で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。
「参入障壁の低いイベント業はコモディティビジネスになりつつある」と警鐘を鳴らす平野暁臣氏に、プロデューサーの使命感を聞いた。インタビューアーは、万博記念公園にある太陽の塔で、幻想的な映像世界を描く映像プロデューサーの長崎英樹氏が務めた。
私の原点
長崎 現在、空間メディアプロデューサーとして、リアルな空間コミュニケーションをプロデュースしている平野さんが、イベントに興味をもったきっかけを教えてください。
平野 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(大阪万博)です。小学校6年生だったぼくにとって大阪万博は人生最大の衝撃でした。終戦からまだ25年。缶蹴りやベーゴマで遊んでいた貧しい小僧の目の前に、突然未来が舞い降りたわけですからね。まさに“事件”で、万博体験はぼくの精神に決定的な影響を与えたと思います。
その後、さまざまなイベントが開催されましたが、大阪万博を超えるものは未だ出現していません。よく「時代が違う」と片づける人がいますが、ぼくはそうは思いません。大阪万博があれほどの水準になったのは「時代」ではなく、つくり手の情熱と心意気「世界に新しい日本を見せてやる!」という熱い思いの結晶なんです。
大阪万博はぼく自身の人生も変えました。こども心に“万博をつくってみたい”と思うようになったからです。それでいまこの仕事をしています。
ビジネス化したイベントのはじまり
長崎 思いの産物である大阪万博。開催後、イベントに対する社会の期待やニーズが高まり、一方ではイベントの世界にはじめてプロデューサーという概念が定着して、イベントがビジネス化されました。
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