生涯スポーツの専門家である野川春夫氏は、スポーツを通じたさまざまな調査や研究をつづけ、研究者としての道を歩んできた。そしてスポーツイベントに自ら参加し、経験することで得られるものがあることを実体験で学んできたという。そこで、スポーツイベントを熟知する野川氏に経験談を交えながらイベントとの関わりや想いを聞いてみた。
保健体育からスポーツビジネスの世界へ
―野川さんが学者の道を志したキッカケを教えてください
実は学者になろうとは思ってもみなかった。というのも保健体育の教員資格をとった若い頃、零細企業に入社し、違う道を歩んでいたんです。ところが男子校で保健体育の授業を教えていた先輩が脊椎カリエスを患ってしまい、その代役で誘われて学生に教えることになりました。ところが難しいんですよね、人に教えるってことは。どのように教えて良いのかわからなくなってしまい、恥ずかしくなって辞めてしまいました。
その後、元々サッカーコーチになりたかったので渡米し、勉強することになるのですが、当時ミュンヘンオリンピック(1972年)ではテロで初めて12人の犠牲者が出てしまい、大型イベントのセキュリティはたいへん悩ましい問題であることを初めて知りました。そして2年後にはドイツ・ワールドカップでオランダチームがトータルフットボールと称する見せるサッカーを披露し、観客を楽しませる素晴らしさを世に知らしめました。これらのような事例に海外で触れるうちに、勝敗を競うことのみがスポーツではない、スポーツイベントには何か奥深いものがありそうだと肌で感じることができました。
帰国後、東京YMCA社会体育専門学校や国立鹿屋体育大学、順天堂大学に勤めましたが、それぞれの地で私を誘ってくれる先輩がいて、皆、共通して言えることは「Do スポーツ」の推進者でした。見ることだけがスポーツではない、参加して自らが楽しむ。このような教えに私も賛同していたため、徐々に保健体育の分野からスポーツ産業やイベント産業に関わるようになりました。
イベントから学んだもの
―体験型のイベントが大切だと実感したエピソードを教えてもらえますか
◎ホノルルマラソン
「ホノルルマラソン」は子供が産まれる度に走ったので思い出深いです。特に最初に走った時はとにかく感動しました。苦しい思いをしながらもゴールに向かってぶつぶつ独り言を言いながら走り、ゴールを迎えた時の達成感は忘れません。そして、走り終わって振り返ってみると、アメニティや大会運営者のホスピタリティ、仮設トイレもあれば、仮設シャワーもある。まさにマラソン大会そのものがイベントプロデュースそのものであり、「欲しいときに、欲しいものがある」ことがいかに素晴らしいことかと気づかされました。