[Woman’s NEXT]日本能率協会・丸尾 智雅 氏

インタビュー
本記事は2022年11月30日発行の季刊誌『EventBiz』vol.29で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。
[Woman's NEXT]

業界で活躍する女性の姿を追う

教育研修から展示会事業へ 自分の役割を考え続けた

(Profile) まるお・ちが
聖心女子大学文学部卒、1997年日本能率協会入職。入職以来、研修事業に携わった後、2018年より産業振興センターにて展示会事業を担当。現在に至る。趣味はビーチバレーボールで、休日は仲間との練習や大会出場などを楽しんでいる。

丸尾さんが日本能率協会(JMA)に入職したのは1997年のこと。教育研修事業を担当し、企業の人材や幹部候補の育成、役員研修のプログラム考案などにさまざまな分野で携わった。そんな丸尾さんに転機が訪れたのは2018年。産業振興センターの展示会事業担当を言いわたされたのだ。

同じ JMA でも教育研修事業と展示会事業では業務内容がまったく違う。さながら転職したようなものだった。もちろん JMA の展示会部門のことは知っていたが、これまで実際に展示会場まで足を運ぶ機会はほとんどなく、一から学ぶ必要に迫られた。

幸いだったのは、はじめに担当したのが「国際ホテル・レストラン・ショー」をはじめとする HCJ の展示会だったことだ。元々インテリアに興味があった丸尾さんにとって、ホテルやレストランの内装に関われるのは嬉しいことだったし、ホテルやレストランという存在は身近に感じられた。

とはいえ、学ぶべきことは山ほどある。必死に実務を覚えながら新しい企画も考案する日々。業界の課題は何か。どうやって解決する場を作り上げるか。集まる企業はどのようなもので、どういったソリューションが来場者の求めるものか。常に思考回路はフルスロットルだった。周りを見れば自分より若いメンバーが精力的に仕事をこなしていて、「自分はどうすれば役に立てるだろうか」と不安を覚える日もあった。

それでもやれることをやるしかないと、まずは業界団体とコミュニケーションを密に取るところから始めた。自身が初心者であるという自覚を持ち、知ったかぶりをせず、不明点があれば質問をして少しずつ知識をたくわえていった。教育研修事業を担当していた頃よりも時間が経つのが早く、さまざまな立場の人と関わるため、世界が広がった感触がした。

コロナ禍による激動の日々へ 周りの声に支えられた3年間

2年目以降になると担当する展示会も医療系の「HOSPEX Japan」、製造・建設系の「Japan Home & Building Show」、化学系の「メンテナンス・レジリエンス」など多岐にわたるようになった。社会では生産性向上や人手不足などが課題としてあがっており、その解決の場を作ることも丸尾さんの大事な仕事だった。

展示会部門で経験を積むうちに、見えてきたことがあった。それは広い視野を持ち、常に先を見据えて行動することの大切さ。日々の業務に忙殺されて前のめりになれば、大きなトラブルにつながりかねない。かつて出産後に復職し、仕事を周囲と共有する術を身に着けていたことが役立った。

そうして少しずつ仕事にも慣れ、自分の役割をこなすことに自信がついてきた頃、新型コロナウイルスのパンデミックが起こった。誰も経験したことのない未曽有の事態。社会全体が大きく混乱する中、JMA では2020年7月に国内ではいち早く「関西ホテル・レストラン・ショー」を大阪の地で再開したが、待っていたのは激動の日々だった。

状況はリアルタイムに変化していった。展示会を開催することが本当に正しいのかを疑問視する声も寄せられた。何が正解かは誰にも分からない時代。そんな中、丸尾さんを支えたのが周囲の仲間だ。共に困難を乗り越えるべく互いに励まし合ったことは、その後の大きな財産となった。丸尾さんも「下を向いていても仕方がない」と自身を鼓舞しながら「どうしたらできる」「そのためには何をするべきか」と考え方をシフトしていった。

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