『EventBiz』vol.27|特集① イベントの未来とは
人と人とが交流する機運が高まりつつあり、大型イベントにも明るい兆しが見え始めている。多くのイベントたちは、開催形態を変化させながら新しい時代の荒波を生き抜いてきた。“イベント”は将来、それぞれどのような形式を選び取り、どのような進化を遂げてゆくのだろうか。人々に求められるこれからのイベントの在り方と未来像を、各イベントの展望から探る。
7月23日と24日、大分・中津市で3年ぶりに御神輿と祇園車の巡行を含む祭礼である「中津祇園」が開催されることとなった。依然として新型コロナウイルスのリスクが色濃く残る状況下での開催となるが、そこにはどのような思いや願いが込められているのだろう。中津祇園保存協議会事務局の柳友彦氏、眞玉賢氏に話を聞いた。
590 年の歴史の中で育まれ 地域の心に根付く かけがえのない祭
─大分県三大祇園祭の1つである「中津祇園」ですが、どのような歴史的背景があるのでしょうか
眞玉 中津祇園は全国にある祇園社の総本社である京都・八坂神社の流れを汲む祭です。古くは永享2(1430)年に下正路浦の漁師の村祭として行われたことが記録に残っており、約590年の歴史を誇る由緒正しい祭と言えます。10万石の城下町中津を代表する中津祇園の目的は中津城下の疫病退散と無病息災の祈願で、約330年前の天和3(1683)年から現在のような華麗な「祇園車」と呼ばれる曳車が出されるようになりました。祇園車と「キチコンコンコン」の囃子は江戸期の大阪三郷の地車(ダンジリ)の影響を受けているとされており、それが伝わったのもこの時期と考えられています。現在では13台の祇園車と2基の御神輿が市中を練り歩く、勇敢で華麗な祭として多くの人に愛されています。
─長い歴史の中で育まれてきた中津祇園ですが、地域にとってどのような存在なのでしょうか
柳 中津では小さなお子さんからご高齢の方まで、誰もが毎年の中津祇園を楽しみにしています。中津祇園によって地域の人々が同じ方向を向いてコミュニティを形成することは非常に重要なことで、新型コロナウイルスによってさまざまな地域コミュニティが崩壊の危機に瀕している昨今、その重要性はますます顕著になっていると言えるでしょう。