来る「大阪・関西万博」を正しく見つめるために[マッシュ・間藤 芳樹 氏]

インタビュー
本記事は2022年8月31日発行の季刊誌『EventBiz』vol.28で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。

『EventBiz』vol.28|特集① 大阪・関西万博に備えよ!
大阪・関西万博の開催まで残すところ1,000日を切った。東京五輪に続く日本経済発展の起爆剤として期待されている大阪・関西万博だが、その準備は既に本格化し企業は2025年を視野にさまざまな取組みを開始している。本特集では大阪・関西万博に向けた国や企業の最新動向を追った。

17年ぶりに国内で開催される国際博覧会に、イベント業界はどのような視点を持って臨むべきなのか。1970年の大阪万博と深い縁を持ち、多くの「国際園芸博覧会(花博)」や世界の博覧会に携わってきた、マッシュの間藤芳樹代表取締役に聞いた。

少年の日の秘密基地がメトロポリスになった

間藤 芳樹 氏|マッシュ 代表取締役

─1970年の「大阪万博」と、そのほかの博覧会との関わりについて教えてください

大阪万博の会場となった千里丘陵は元々、一面の「竹やぶ」でした。小学生のころはその竹やぶに秘密基地を作り、友人とつるんで冒険遊びをしていました。中学に上がり万博の開催が迫ると、遊び場だった千里丘陵の竹やぶはみるみるうちに開発が進み、やがて木が一本もなくなっていった。だから僕の万博は少年の日に走り回っていた「竹やぶ」から始まっていて、万博との付き合いはとても長いんです。

そして偶然にも、万博会場近くの高校に通うことになり、万博が始まると時間があれば夕方からの割引券で入り浸っていました。「世界はこんなに広いんだ!」と叩きつけられるようなショックを受けたのを覚えています。アポロが持ち帰った月の石にはじまり、マルチスライドの映像、花に見立てた光ファイバー、人間洗濯機、会場の全てが未来都市でした。さらに生まれて初めて見る多くの外国人、伝説のアーティストの来日公演までも。大人になって多くの博覧会に携わる縁ができましたが、この時の衝撃が源流となっているのではないでしょうか。

10年に一度開催される「フロリアード国際園芸博覧会」に40年携わってきたほか、1990年の「国際花と緑の博覧会」などさまざまな花博、地方博や「愛・地球博」の運営や演出などを手掛けてきました。さまざまな2025年の大阪・関西万博の関連プログラムにも参加しています。

私たちの遺伝子に刻まれている「万博」

─博覧会に携わる上で必要な考え方、持つべき視点はどのようなものでしょうか

①長い目
長い目で捉えることです。今でこそ持て囃されているかつての大阪万博でさえ、開催前は自然を切り開いて会場の建設を行う計画に、非常に多くの反対運動が起こりました。しかし、万博開催後は会場周辺にあらゆる企業による開発の手が及び、辺り一体は不動産開発などによって自然がなくなりました。逆に万博会場だったエリアだけが公園として大切に守られていて、今でも多くの緑が残っています。つまり万博のために切り開いた土地に緑が残り、それ以外の開発しなかった土地には結果的に、緑が残らなかった。万博の十数年後、この事実を目の当たりにしたとき、短期でものを見てはいけないと痛感しました。

ですから、1970年の大阪万博の栄光を目標にすること、またその成功を基準に2025年の関西・大阪万博の戦略を考えることはやめた方がいい。大阪万博の成功を分析することは悪いことではありませんが、良くも悪くも「死体解剖」なのです。時代によってそれぞれの博覧会の評価は移り変わる。だからこそ「歴史に成功として残るような博覧会をやろう」というモチベーションでは良いイベントはできない。現代は戦争や災害がいつ起こるかわからず、未来を予測することは特に難しい状況といえるでしょう。それならば、博覧会は「今この瞬間のために一番必要なメッセージを発信する」ほか道はありません。博覧会はやらなくてはいけないからやるのではない。立場上、業務視点に寄りすぎた関係者がこれから考えなくてはならないのは、「今なにが必要で、何のために開催するのか」です。

博覧会が成功したか否かは、その後に積み重なっていく歴史が決めるものです。例えば、大阪万博が評価されているのに比べて、1985年の国際科学技術博覧会(つくば博)の存在感は薄いですよね。つくば博の映像技術の進歩は目覚ましく、空間やステージの演出の在り方を大きく変えました。それでもつくば博の評価が人々の間でぼんやりとしているのは、科学技術を強く売りにしすぎて、人々の心が一緒に付いていかなかった結果かもしれません。また、大々的にテーマに据えた科学技術は時代が進めば陳腐化するものであるという点も原因の一つであると思います。もっと未来では成功だと評価される博覧会であるかもしれません。博覧会に、成功か失敗か歴史が判断できるくらい長い命を授けようとするなら、哲学とコンセプトを大切に設定すべきです。

17年前に開催された「愛・地球博」では、今日の SDGs の考え、自然との共存といった考え方が、日本人の腑に落ちていくきっかけとなった博覧会だと確信しています。ようやく時代や人の心が「愛・地球博」のコンセプトに今追いつき始めようとしている。これも17年経った今だからこそ見える博覧会への評価と言えます。

そして博覧会は開催前、会期中、開催後と長い目を持ち、定点で眺めることが重要です。2025年の大阪・関西万博についても、開催終了後にあの会場がどうなっていくかを見届けるのが僕たちの責任ではないでしょうか。博覧会によってあの夢洲が生き続けるのか、それとも死んでゆくのかを。

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