本記事は2016年8月31日発行の季刊誌『EventBiz』vol.4で掲載した内容をWEB版記事として転載および再編集したものです。掲載されている内容や出演者の所属企業名、肩書等は取材当時のものです。
地域に根付いたイベントは、その地域を活性化させるパワーを生み、街のネームバリューを上げる存在になる。そこで、日本を代表するフェス「SUMMER SONIC」(以下サマソニ)が千葉・幕張新都心で夏の風物詩となるまでの背景や、その開催地・幕張メッセがどのような考えをもってライブ&イベントの聖地と呼ばれるまでに成長したのだろうか。クリエイティブマンプロダクション・清水直樹氏と幕張メッセ・児玉賢治氏にそれぞれの思いを語ってもらった。
SUMMER SONIC のはじまり
―2000年からはじまった「サマソニ」は幕張の夏を代表するフェスとして定着しましたが、ここまで成長するまでの成り立ちを教えてください
清水 「サマー・ソニック」を企画・運営するクリエイティブマンプロダクションを立ち上げたのは1990年ですが、そのはじまりはクラブにインディなロックバンドを呼ぶクラブツアーのような事業からの出発でした。当時は日本でインディロックが盛り上がった時代でしたから、その時流にうまく乗ることができ、10年を経たころにはいろいろなアーティストを海外から呼べるようになっていました。そうなってくると以前からロックフェスを開催するのが夢でしたから、2000年に「サマー・ソニック」を思い切って立ち上げたんです。当初からロンドン(英国)やL.A.(米国)のような大都市近郊で開催されていた都市型フェスを目指していたため、初開催の「サマソニ」は東京会場が富士急ハイランドで、大阪が WTC オープンエアスタジアムの2会場からスタートしたんです。しかも両会場を行き来する、いわゆる巡回型フェスのスタイルを日本に初めて本格的に導入した記念すべきフェスとなりました。
―初開催でいきなり2会場は不安が大きいですよね
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